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特別企画!
ワールドカップ ドイツ2006!
とうとうやってきました!世界最大のサッカー祭典・ワールドカップ!
もちろんここではパラグアイ代表チームを紹介します!
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パラグアイ代表
SELECCION PARAGUAYA
試合日程 − グループB
パラグアイ 対 イングランド
6月10日09:00時(PY時間) FRANCFURT
パラグアイ 対 トリニダー・トバゴ
6月15日15:00時(PY時間) BERLIN
パラグアイ 対 スウェーデン
6月20日15:00時(PY時間) KAISERSLAUTEM
パラグアイ代表チームの特徴
※説明&評価はオイラの独断と偏見によります(笑)
カリスマゴールキーパー、ホセ・ルイス・チラベルから離れ一人歩きをはじめたパラグアイ代表。2002年韓日W杯までの「守備一徹」の欠点を補うためか、その後続々と現れた若き攻撃的プレーヤーを多数要した2006年の新生アルビローハ(パラグアイ代表の愛称。「白赤」を意味する。)ですが、攻撃力アップに重点を置きすぎたのか、今度は守備のほうに不安を有するチームとなってしまいました。そのためかアニーバル「マニョ」ルイス監督も何気に保守的な戦術が多く、国内での評価は色々です。
今年のワールドカップはドイツ大会。ちょうどパラグアイ代表の中心的選手であるロケ・サンタクルス(バイエルン・ミュンヘン)とネルソン・アエド・バルデス(ベルダー・ブレーメン、来期からドルトムントに移籍)は長年ドイツで活躍していることもあり、地を熟知する有力選手を有する利を十分に活かし「負けを恐れず勝ちに行く」積極的な試合運びを期待します。
基本陣形は4-4-2。
選 手
※だから説明&評価はオイラの独断と偏見によりますってば☆
ゴールキーパー
1
フスト・ビリャール
Justo
Wilmar Villar Viveros
Newells Olds Boys(アルゼンチン)
反射神経抜群の正キーパー。しかし最近調子が下り坂....大丈夫か?
12
アルド・ボバディーリャ
Aldo Antonio Bobadilla
Avalos
Libertad(パラグアイ)
国内上半期リーグで優勝したリベルタの正キーパー。うっかりミスが玉にキズ。
22
デルリス・ゴメス
Derlis
Venancio Gómez López
Sportivo Luqueño(パラグアイ)
近所に居そうなフツーのオヤジ風貌を持つ(?)でもいい反応するぞ!
ディフェンダー
21
デニス・カニサ
Denis Ramón
Caniza Acuña
Cruz Azul(メキシコ)
地味だけどバランスのとれたプレーをするベテランライトバック。
4
カルロス・ガマラ
Carlos Alberto
Gamarra Pavón
Palmeiras(ブラジル)
ポジショニングに優れるディフェンスの達人。
全盛期は世界最高のセンターバックとさえ言われてました。
最近はグイグイと攻撃にも参加するようになってきました。
彼が上りだしたら要注意!
5
フリオ・セサル・カセレス
Julio César
Cáceres López
River Plate(アルゼンチン)
ガマラの後継者と称えられるセンターバック。
競り合いの強さは定評があります。
2
ホルヘ・ヌーニェス
Jorge Martín
Nuñez
Estudiantes de La Plata(アルゼンチン)
目が「笑うセールスマン」なレフトバック(?)
攻撃よりも本職ディフェンスに長ける。
3
デリオ・トレド
Delio César
Toledo Rodas
Fenerbahce(トルコ)
えーと....色黒のレフトバック。ラフプレーが多かったような...
14
パウロ・ダシルバ
Paulo César
Da Silva Barrios
Toluca(メキシコ)
センター(時にはレフト)バック。守備だけじゃなく攻撃にも果敢に参加します。
15
フリオ・マンスール
Julio Cesar
Manzur
Santos(ブラジル)
「壁」役センターバック。
不器用なとこが玉にキズ。しかしブラジルの古豪サントスで鍛えられ、最近はなかなかレベルアップしたようです。
ミッドフィルター
8
エドガル・バレト
Edgar Osvaldo
Barreto Cáceres
NEC Nimega(オランダ)
童顔で優しい顔立ちのライト・ボランチ。いい遠距離キックを放ちます。
16
クリスティアン・リベロス
Cristian
Miguel Riveros Nuñez
Libertad(パラグアイ)
攻撃力高い若きミッドフィルター。
10
ロベルト「TORO(雄牛)」アクーニャ
Roberto Miguel
Acuña Cabello
Deportivo La Coruña(スペイン)
堅牢な猛牛野郎。ガマラと共にチームを引っ張るリーダー的存在。
13
カルロス・ウンベルト・パレデス
Carlos
Humberto Paredes Monges
Reggina(イタリア)
「Señor
del mediocampo(中盤の主)」の異名を持つ。
荒削りなところは運動力で補うぞ!
19
フリオ・ドス・サントス
Julio Dos
Santos Rodríguez
Bayerm Munich(ドイツ)
時にはフォワードもこなすエンガンチェ(トップ下)
ドリブル、キープ力とパスセンスに優れる。
ただし、最近は実戦離れしているためか、本領発揮できてない....
11
ディエゴ・ガビラン
Diego Antonio
Gavilán Zárate
Newells Olds Boys(アルゼンチン)
いいとこの坊ちゃん風なニーちゃん(?)
6
カルロス・ボネット
Carlos Bonet Cáceres
Libertad(パラグアイ)
直線的にぐいぐい上がってきます。ただし、走る姿はトカゲっぽい(?)
17
ホセ・モンティエル
José
Arnulfo Montiel Nuñez
Olimpia(パラグアイ)
最年少18歳の攻撃型ミッドフィルター。
今大会後はイタリアでプレーするそうな。
フォワード
18
ネルソン・アエド・バルデス
Nelson Antonio
Haedo Valdez
Borussia Dortmund(ドイツ)
ガッツあるプレーを見せる期待の新星。気合入ってます。
長年ドイツでプレーしていますので、今大会はほぼ「ホーム」試合!
9
ロケ・サンタクルス
Roque Santa
Cruz Cantero
Bayerm Munich(ドイツ)
ドリブルセンスとゴール前での勝負強さを備え持つイケメンファイター(笑)
彼もまた長年ドイツでプレー、やっぱ「ホーム」感覚?
現在リハビリ中で、初戦に間に合うかどうか....
7
サルバドール・カバーニャス
Salvador Cabañas
Ortega
Jaguares de Chiapas(メキシコ)
胴長・○足・インディオぉな風貌、しかし切れ味は鋭い!
23
ネルソン・クエバス
Nelson Rafael
Cuevas Amarilla
America(メキシコ)
クエバスといえば高速ドリブル!高速ドリブルといえばクエバス!
相手DFをひっかきまわしますよ、このヒトは!
?
ダンテ・ロペス
Dante López
Génova(イタリア)
カルドソ欠場により急遽召集された23歳のフォワード。
大きなガタイにモノを言わせ蹴散らすようなパワフルさが売り。
個人的に気に入ってる選手ですので頑張ってほしいです!
監 督
アニーバル「マニョ」ルイス
Aníbal
"Maño" Ruiz
長年パラグアイに馴染んでいるウルグアイ人監督。
好々爺といったカンジで人徳がありますが、監督としては「あまりにも保守的な作戦が多い!」と文句言われてます。
「代表監督の器ではない!」と、いつもチラベルの猛口撃の標的にされてるカワイソウな人(泣)
ケガにより欠場
20
ホセ・サトルニーノ・カルドソ
José
Saturnino Cardozo Otazú
San Lorenzo de Almagro(アルゼンチン)
ポジショニングに優れるベテランセンターフォワード。
しかし親善試合で左足のふくらはぎを痛め欠場を余儀なくされました。残念!
そういえばパラグアイA代表最多得点記録もってるんだよなあ....
画像 ttp://www.yagua.com/gfotos/carpeta.php?id=11
参考 ttp://www.abc.com.py/especiales/alemania2006/seleccion.html
↓ ここから通常のページです ↓
祝!2004年アテネ五輪
男子サッカー代表銀メダル獲得!
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パラグアイのサッカー
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写真 ttp://www.albirroja.com/
南米の例にもれず、パラグアイもサッカーが国技といってもいいくらい流行っています。
週末はあちこちのCANCHITA(サッカー場)に近所のおっちゃん連中が集まり草サッカーをやっています。
子供達ならジュース代、おっさん連中ならビール代とか賭けて(笑)
で、その後は近所の食堂とかに集まって酒盛り(爆)
そんな国ですから、プロ選手、プロチームのレベルもなかなか高くて強いですよ。
世界的プレーヤーもけっこういます。
では、簡単にパラグアイのサッカーを紹介してみます。
オリンピア セロ・ポルテーニョ グァラニー ドセ・デ・オクトゥーブレ
トレス・デ・フェブレーロ ドス・デ・マジョ フェルナンド・デ・ラ・モーラ
注意事項
※ここにある評価は管理人の独断と偏見による評価であるからにして、どっか適当なトコで全然別の内容のもん読んで「なんだ、違うじゃねーかよ!」とか言われても、僕しらないっと。
パラグアイ代表
SELECCION PARAGUAYA
ALBIRROJA - アルビローハ
(愛称。『白赤』を意味する)

パラグアイサッカー協会(Asociación
Paraguaya de Futbol)のマーク。
ALBIRROJAといえば「LA GARRA GUARANI(グァラニーの鋭爪)」
テクニックは近隣の強豪アルゼンチンやブラジルには劣りますが、闘争心溢れる試合振りは有名で、特に98年フランスW杯ではチラベル率いるアルビローハが優勝国フランスと死闘を演じ、世界にその名を響かせました。
チラベル....そう、アルビローハを語るには、チラベルについて書かなければなりません。
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...本当に破天荒なゴールキーパーでした。
試合中にフリーキックの場面となると、のっしのっしとやってくるんですよ。はるか反対側のゴールから....180センチ以上の巨漢が鬼のような表情でゆっくりと....
「来たっ!!チラベルが来たぞ!!」と観客は騒然となり、相手チーム選手の顔がひきしまり、カメラマンは騒然となってカメラをかまえる....この盛り上がりの瞬間がすごかったですね、いつも。背筋がむずむずするような興奮をいつも感じてました。
しかも実際にバシバシキメちゃうからすごい。キックの精度と速度はゴールキーパーとしての常識を超えてました。
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また闘争心も凄まじいものがありましたね。思ったことをズバズバ言う性格で、誰がなんと言おうとオレはオレだ文句あるならかかってこい的なスタイルでした。なんせ、あの「神」マラドーナとも真正面から対決していましたからね。とにかく筋のとおらないことは絶対にやらない、反対に筋がとおれば余計なことまでやっちゃう、という(笑)
そうやって大口を叩くくらいなら誰でもできますが、彼は実際にその大口を現実化してましたからまたすごい。もうホント、有言実行の男。問答無用です。誰も何も言えない。
ここまで凄まじい気性でありながら、リーダーとしての責任感も抜群で、何かゴタゴタが起きたら真っ先に突っ込んでいって強引にわりこんで仲裁する。まあ、たいがいは彼がゴタゴタを起す方が多かったような(爆)
何があっても彼が矢面に立って仲間を守ります。だいたい彼が割って入ると鎮圧に入った武装警官さえビビって避けるくらいでしたから(ペニャロール対ナシオナルで見た☆)
それだけでなく、チームが得点するとみんながチラベルのもとに集まり抱き合って喜ぶ...という「大きさ」もありました。
とにかく、彼がいるチームは、代表であろうがクラブであろうが必ず彼がチーム全体を率いてました。正に彼のワンマンチームで、その強烈な個性でチーム全体を強引なまでに栄光へ引きずりこんでいました。パラグアイ代表しかり、べレスしかり、フランスのストラスブルグしかり、ペニャロールしかり....まさにどれも「チラベルのチーム」。
-*-*-*-
あと、彼の話し方はちょっと変わってて、ときどき自分のことを名前でよぶんですよ。
もちろん故意にやる場合が多いんですが、そこらの女の子がそんなことやってたら知能障害みたいですが、この人がやると「自分への自信」というのが溢れ見えるんですよね。
皆さん、自分のことを名前で呼べます?幼いとかいう以前にそこまで自分をアピールできる自信がありますか?
.....このへんもすごいなあ、と思います。
それだけの自信に満ちてるからなのか、度胸もケタはずれで、何万という観客からブーイングを受けても両手をあげて煽ったりしてましたし。テレビで観てるこっちがハラハラするくらい(笑)
チームメイトが「オマエには怖いものは無いのか?」と感心を通り越して呆れていた、という逸話もあります。
オイラ、個人的に忘れられない彼のプレーがあります。
ひとつは、60メートルシュート。
もうひとつは、1997年9月、アルゼンチンリーグApertura第4節、ボカ・ジュニオールズ対ベレス・サーフィールド。
ボカには「サッカーの神様」「神の手」そして「10」の異名を持つディエゴ・アルマンド・マラドーナ。べレスにはチラベル。試合は0-0のまま進んだが、ボカに均衡を破るチャンスが訪れた。チラベルが守るゴールから30メートルのフリーキック。もちろん蹴るのは「神」。
「神」から発射されたボールは恐ろしいカーブを描いてゴール右上の角、ちょうど上のバーと横のバーにボールが擦るような、とんでもないポイントに吸収されようとする!
キーパーにとって最もクリアしにくいポイントですよね。しかもそんな神業では.....!
しかし、クリアしちゃったんですよ、このオヤジは。自分の居たポイントからガガガっとダッシュし必死のジャンプ!
ボールは右手にはじかれ右ポストに当たりゴール外へ。
当時、ピッチ外でもいがみ合っていた両雄ですが、このときばかりは「神」も拍手してチラベルのスーパープレーを称えました。
【伝説のプレーヤー】
「赤い軽業師」アルセニオ・エリコ("El Saltarín Rojo" Arsenio Pastor Erico)
パラグアイ史上最高のプレーヤーだ、と万人に認められる伝説のヒーロー。
アルフレド・ディステファーノが「彼は私のヒーローだった」と懐古する怪物。
1915年3月30日アスンシオンで生まれたエリコは15歳の時にナシオナルでプロデビュー。
チャコ戦争(ボリビアを相手に戦った戦争。1932年〜1935年)負傷者救済のための資金集めにアルゼンチンへ巡回興行したパラグアイ赤十字選手団に参加したエリコは、アルゼンチンでの試合で素晴らしいプレーを披露し、アルゼンチンのチームであるリーベルプレートとインデペンディエンテの上層部の目にとまり、特にインデペンディエンテから熱烈なラブコールがありました。
しかし彼には兵役の義務があり外国アルゼンチンへの移籍が出来ない状態でしたが、彼の類まれなる才能に惚れこんだインデペンディエンテは、なんとパラグアイ国防省に懇願しエリコの兵役特別免除を取得し、晴れてエリコはアルゼンチンのインデペンディエンテに移籍しました。
インデペンディエンテに移籍したエリコは、1934年のデビューから1946年までの12年間に325試合293得点というアルゼンチンサッカー界の大記録を樹立(この記録は未だ破られていません)、1938年と1939年の2度チームを優勝に導き、ARSENIO ERICO、VICENTE DE LA MATAとANTONIO SASTREの3人によって爆発的な破壊力を誇る攻撃ユニットを構成し、556得点という驚異的な記録を打ち立てました。
彼は小範囲でのプレーに優れたファンタジスタで、個人技、スピード、しなやかな身のこなし、そして驚異的な跳躍力により両腕をいっぱいに伸ばした長身のゴールキーパーよりも高く跳んだと言われる脅威のヘディングは、人々に「サッカー選手の常識を超えている」と言わしめ、「赤い軽業師」「ゴム人間」「黄金のパラグアイ人」「パイロット」「魔術師」「赤い妖精」「悪魔の軽業師」「ゴールの王」「ミスター・ゴール」「プラスチック人間」「」「透明のトランポリンの男」等、数々の異名をもってインデペンディエンテの大スター、いや、アルゼンチンサッカー界の大スターとなりました。
尚、彼の非凡なプレースタイルは他に比較出来る選手がいないと言われ、彼のトリッキーなプレーの例として、ある試合で彼はフライングヘッドシュートの状態で、頭ではなく上にそらせたかかとでボールを蹴ってシュートした(元コロンビアのゴールキーパー・レネ・イギータが得意としたスコーピオンンキックに)という伝説があります。
もちろん、これほどの大選手をアルゼンチンサッカー連盟がほっとくはずがありません。アルゼンチンサッカー連盟はエリコにアルゼンチンへの帰化を懇願し20万ペソの報酬を約束(当時最新型の乗用車が5千ペソ)しましたが、エリコはあっさり拒否。パラグアイ人としてのの誇りを捨てない愛国心に、アルゼンチン全国から喝采を浴び、エリコがアルゼンチン人でないことが非常に悔やまれたということです。
1977年7月23日、ブエノスアイレスにて逝去。享年62歳。
翌日は日曜日、奇遇にも40年前にエリコ獲得をめぐって戦ったインデペンディエンテ対リーベルプレートの試合がありました。この試合で両チームの観客は絶えずこう歌い続けたと言われています。
「Se siente! Se siente! Erico esta presente!(感じる!感じる!エリコは今ここに居る!)」
記 録
インデペンディエンテでの12年間に325試合出場、293点を得点(この記録は未だに破られていません)
1937年得点王 34試合47得点。
1938年得点王 30試合43得点。
1939年得点王 31試合40得点。
資料 ttp://www.diablosrojos.8k.com/idolos/erico.htm
ttp://es.wikipedia.org/wiki/Arsenio_Pastor_Erico
パラグアイ代表選手
とりあえずは有名&海外チームでプレーしている選手を....
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画像 ttp://www.albirroja.com
ttp://www.abc.com.py/eliminatorias2006/index.php
その他、イタリアのレッジーナで活躍しているカルロス・ウンベルト・パレデス、オランダのNEC NIMEGAにいるエドガル・バレト、アルゼンチンのニューウェルス・オールドボーイズで活躍するフスト・ビリャール、メキシコのチアパスにいるサルバドール・カバーニャス等、かなりの人数が世界各国のチームで活躍しています。
しかしこういういい選手は海外にばっかいっちゃって、国内では見られないのが残念です。
パラグアイのクラブチーム
DIVISION PROFESIONAL
オリンピア - OLIMPIA パラグアイといえばオリンピア! |
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1902年7月25日、パラグアイにサッカーをもたらせたオランダ人ウイリアム・パアツによって創立された、パラグアイ最初のサッカーチーム。
1979年にはリベルタドーレス杯初優勝、同年インターナショナル杯でヨーロッパ代表チームに勝ち、パラグアイサッカークラブで唯一、世界一の栄冠を手にした過去を持ちます。
1990年にはリベルタドーレス杯2度目の優勝。その年はリベルタドーレス杯歴代優勝チームによるスーパーカップでも優勝。
そして2002年、3度目のリベルタドーレス杯優勝。12月3日には南米最強のチームとして横浜に赴きヨーロッパ最強のレアルマドリッドと対戦しました。結果は0-2でしたが、なかなかの健闘だったそうです。
2003年は絶不調。まったく無様な試合ぶりでしたが、最近少しずつ力を盛り返し、なんとか2004年リベルタドーレス杯出場権を手にしたものの、またもや不調の魔の手につかまり、2005年は散々たる有様。
地獄の底を彷徨うデカーノ(オリンピアの愛称。長老または最古参という意味)に希望の光が見えるのはいつの日か!?
チームカラーは白地に真横に太い黒縞。この模様、パアツ家に代々伝わるコーヒーカップの柄からとったそうです。
【選手】
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ゴールキーパー
ヘルマン・カッファ Germán Caffa
金髪カール頭が派手なアルゼンチン人キーパー。伝統のオリンピアキーパーの座を守ります!
ミッドフィルター
ビクトル「アニマル」キンタナ Victor "Animal" Quintana
とにかく強引な突進プレーで怪我人続出させ「破壊屋(Destructor)」の異名を持っていたキンタナ。「アニマル」になったとは、改善したのか益々ハタ迷惑になったのか....?
ホセ・モンティエル - José Montiel
今年(2006年)満18才!しかしバリバリのレギュラーです!代表経験有り。
ギド「マゴ(魔術師)」アルバレンガ Guido "Mago" Alvarenga - パスとフリーキックの魔術師
もとセロ・ポルテーニョの英雄。その巧みなパスまわしは正しく「魔術的」!。日本など海外でもプレー経験があるが、なぜか海外では目立つ活躍が見られず、国内のみで素晴らしいプレーを見せる。内弁慶なんだね...。
【監督】
ルイス・クビーリャ Luís Cubilla
永遠のオリンピア監督(笑)。とにかくオリンピア監督経験が豊富。何度監督したんだ、この人は(汗)
【正式名称】 CLUB OLIMPIA
【創 立】 1902年7月25日
【球場名】 Manuel Ferreira(通称「森」El Bosque) 収容数1万5千人
【タイトル】 国内リーグ優勝38回、国際大会は次のとおり。リベルタドーレス杯優勝3回(1979, 1990, 2002)、レコパ優勝2回(1990、2003)、スーペルコパ優勝1回(1990)、インテルアメリカナ1回(1979)、インターコンチネンタル杯1回(1979)
【クラブ史に残る名選手】 日本のヒトに知られてるのっつったら、やっぱロケ・サンタクルス(ドイツのバイエルン・ミュンヘンでプレー)でしょう。その他は、1990年リベルタドーレス杯優勝の立役者だった名キーパーのエベル・ウーゴ・アルメイダ、主審をぶんなぐって半永久追放(解除されたが年齢的に引退)食らったガブリエル「ロコ(クレイジー)」ゴンサレス、代表のカルロス・ウンベルト・パレデスなど。
【オフィシャルサイト】 http://www.clubolimpia.com.py
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労働区のCICLON(サイクロン)! |
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2002年度リベルタドーレス杯を制覇したオリンピアと、人気を二分するチーム。いや、人気でいえばパラグアイ一とも言われています。
ホームが首都アスンシオンのオブレーロ(労働者)区に所在するためか、伝統的で上流家庭のファンの多いオリンピアと対照的に、セロ・ポルテーニョは中層・下層階級のファンが多く、より庶民的なチームです。
2001年には日本の広山選手が1年間レンタル移籍して大活躍し、日本人として始めてリベルタドーレス杯に出場しました。
ヒロヤマ、もう大人気でしたよ。あのときは道を歩いているだけで「おー!ヒロヤマすごいじゃないか!」とかセロ・ファンに話し掛けられたっけ。
2002年は経営難により不振、今回のリベルタドーレス杯出場権も国内プロリーグ三位決定戦でギリギリに入手するという有様でした。
2003年はレギュラー陣を一新、平均年齢が23、4才という、メチャ若いチームとなってがんばっていましたが、やはり経験不足がたたり、とうとう14年間連続出場していたリベルタドーレス杯にも出場出来ませんでした。
しかし2004年はめきめき実力をつけ、開幕シーズン優勝!2005年リベルタドーレス杯出場権を獲得しました。
更に2005年は無敵の強さを誇るが、2006年より攻撃の要だったドスサントスがドイツのバイエルン・ミュンヘンに行ってからは攻撃の組み立てに悩まされています。
セロ・ポルテーニョの名称は、パラグアイ国独立以前の1811年1月19日、現パラグアイ領土に侵入して来たポルテーニョ(港に住む人、ブエノスアイレス人の俗称)の軍隊をパラグアイ軍が迎え撃ち、激戦地となったセロ・バエ、セロ・ロンバドと呼ばれていた場所が、戦闘の後にセロ・ポルテーニョと呼ばれるようになり、国土を守ったこの戦闘に敬意を表して命名されたのが由来です。
チームカラーは赤と青の縦じま。創始者の1人であるスサーナ・ヌーニェス夫人の案で、パラグアイの伝統的な政党であるコロラド党(赤)とリベラル党(青)それにショートパンツを白としてパラグアイ国旗になぞらえ、政党を超えたパラグアイ国民一致団結を意味してます。
【選手】
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ゴールキーパー
ディエゴ・バレト Diego Barreto - 絶妙のポジショニング
アテネ五輪で活躍した名キーパー。色白童顔の兄ちゃんエドガル・バレト(オランダでプレー)と違ってなんかアラブ系っぽい顔してますが、チョー愛想がよくっていつもニコニコしてます。
ディフェンダー
カルロス・バエス(Jr) Carlos Báez
プレーは荒いし、かっとなると思いっきりカードコレクターに早変わりする。ビジュアル的なら超一流なんですが(笑)
ペドロ「ガンソ(ガチョウ)」ベニーテス Pedro "Ganso" Benítez
ヘディングに強く、得点能力も高い。なぜ「ガチョウ」君なのかは....見れば分かる☆
エルネスト「テト」クリスタルド Ernesto "Teto"Cristaldo - 坊主頭☆
2004年アテネオリンピックチームの一員。果敢に攻撃に参加します。
ホセ・デ・バカ José De Vaca
若いがこれでもアルゼンチンやイタリアで強敵にもまれてきた名ディフェンダー。
ミッドフィルター
マリオ・グラーナ Mario Grana アルゼンチン人
好調不調の波はありますが見事な玄人技を見せる2004年の上半期・下半期制覇という偉業の立役者。2005年はメキシコのチームから熱烈なラブコールがあったが、あえてセロに残った。
ホセ・ドミンゴ「ミンゴ」サルセド José D."Mingo" Salcedo
現在東京FCでプレーしているササ・サルセードの弟。とにかくがむしゃらな運動量で強引に上がります。まだまだ荒削りですが....
ワルテル・フレテス Walter Fretes
遠距離狙撃屋。けっこう得点能力もあり、役に立ちます。
フォワード
エルウィン・アバロス Erwin Ávalos
一時期は得点王に輝いたこともありますが、最近はアシスト役ばかり。ササもラミレスも去った今、オマエが得点するしかない!
ホルヘ・アチュカロ Jorge Achucarro
「アチュ」の愛称で親しまれる代打屋(笑)
【監 督】
グスタボ・コスタ Gustavo Costas アルゼンチン人
リベルタを今の常勝軍団に育て上げ、低迷してたセロを最強軍団にまで育て上げたヘラルド「タタ」マルティノ監督の後任としてやってきたアルゼンチン人監督。
【正式名称】 CERRO PORTEÑO FOOTBALL CLUB
【創 立】 1912年10月1日
【球場名】 Gral.Pablo Rojas(通称「赤青の鍋」 Olla Azulgrana) 収容数3万2千人
【タイトル】 国内リーグ総合優勝27回、COPA REPUBLICA2回。国際タイトルはないが、リベルタドーレス杯30回、メルコスール杯4回、南米カップ4回の出場経験を誇る。
【クラブ史に残る名選手】 カルロス「コロラド(赤)」ガマラ、フランシスコ「チキ」アルセ、ロベルト「ガト(猫)」フェルナンデスほか。
サンティアゴ・サルセド「Sa Sa(ササ)」 Santiago
Salcedo"Sa Sa" − ゴール前での決定力
元ミッドフィルターですが、フォワードに使ったところ驚異的な得点能力を開花させた。2005年度リベルタドーレス杯得点王。現在東京FCでプレー。
セサル「ティグレ(虎)」ラミーレス César
"Tigre" Ramírez − ディフェンダーのブチかましをも跳ね飛ばす馬力
まさに「虎」の異名にたがわぬ力強い攻撃と巧みなドリブル(真正面から対峙し、左右にゆすぶり抜くタイプ)で相手ゴールを強襲します。正に猛虎!現在ブラジルのフラメンゴで大活躍中。
フリオ・ドス・サントス Julio Dos Santos
MFとFWとの中継を受け持つ、というか自分でボールを持って上がり得点しちゃう能力を秘める若き才能。ドイツのバイエルン・ミュンヘンの目にとまり現在ドイツで修行中。
【オフィシャルサイト】 http://www.cerro.com.py
参考資料 http://www.abc.com.py/especiales/torneo/apertura/images/infocerro.jpg
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Guaraní - グァラニー ドス・ボカス地区の酋長! |

2005年度下半期レギュラー
【2005年のデータです】
人気ではオリンピア、セロポルテーニョに次ぐ、伝統ある第三勢力。2004年は福田健二選手が大活躍してました!
ヘディングに強い福田選手がメキシコ・パチュカに、根性のフォワード野郎パブロ・ヒメネスがブラジルに行ってしまい得点力が下がりましたが、サンチェス&ラビーナ監督の名采配で2005年は大復活!
愛称は「アボリヘン(原住民)」。
チームカラーは黄色と黒。
【選手(2005年下半期)】
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ディフェンダー
フーリオ・マンスール Julio Manzur - 猪突猛進&ちょっと雑で単純か?
2004年アテネ五輪ではテレビの実況がガマラと何度も間違えるほど巧みなプレーをしていました。今回の五輪で著しく成長した選手の一人でしょう。ただ、勢いに乗せると色々な意味でブレーキが利かなくて(汗)
ミッドフィルター
オスバルド・ディアス Osvaldo Diaz - キープ力抜群!
あまり背は高くない(それでも174あるか)けど、ちょこまかとドリブルで相手を翻弄するクールな男。あんまり笑顔見たことないです。
しかし実はけっこうオモチャにされるタイプで、2004年アテネ五輪ではチームメイトに色々遊ばれてたみたいで☆
ペドロ・イララ Pedro Irara
朴訥としたマーカー。彼もクロスがうまい。
フォワード
アルシデス「トマテ(トマト)」ロダス Alcides "Tomate"Rodas
なんでトマトなんだ?
【監 督】
アマドル・サンチェス、エンリケ・ラビーナ - Amador Sanchez, Enrique Hrabina
珍しい2人3脚。しかし就任後がんがん勝ちだしました!
【正式名称】 CLUB GUARANI
【創 立】 1903年10月12日(1905年5月27日という説もある)
【球場名】 Rogelio Livieres 収容数8千人
【タイトル】 国内プロリーグ総合優勝9回(1906, 1907, 1921, 1923, 1949, 1964, 1967, 1969, 1984)
【クラブ史に残る名選手】
アウレリアノ・トーレス Aureliano
Torrez - クロス屋&長距離狙撃兵。
彼もまた2004年アテネで活躍した一人。
【オフィシャルサイト?】 http://www.razaaurinegra.8m.com/principal.htm
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12 de Octubre - ドセ・デ・オクトゥブレ イタウグア市のバナナマーン☆ |
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【2005年のデータです】
セントラル県イタグア市という首都圏外、つまり地方のチームで唯一一部リーグの常連となっているチーム。
チームカラーである青と白は、発足者のひとりEspiridiona Cáceres de Román夫人が発足会議のときテーブルに飾ったジャスミンと白百合の花から生まれ、「12 de Octubre」という一風変わった名称は、母なる大地である新大陸発見の日(10月12日)に敬意を表して付けられた。
愛称は「イタグエーニョ(イタグア人)」
1998年よりプロリーグに昇格。2002年に下半期リーグ優勝という快挙を成し遂げ、リベルタドーレス杯にも2回出場した。
しかし2003、2004年は全く絶不調。がんばれ〜!!
ユニフォームは縦に細い青白の縞。
現会長はなんど民謡音楽家!Vocal Dosというデュオで美声を響かせます。
マスコットはBANANA CON PIYAMA(パジャマを着たバナナ)、どこぞの子供向け番組のキャラクターです。パジャマが青と白の縦じまだから...?
【選手(2005年下半期)】
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フランシスコ「チキ」アルセ Francisco "Chiqui" Arce
全盛期はブラジルのパルメイラで当時の監督だったフェリペ・スコラーリ監督(現ポルトガル代表監督)のもとでブラジル外国人選手トップ5に入るほどの名選手でした。ドリブルは全くダメ、しかし彼のフリーキックの威力と制度は正にベッカムレベルの世界水準でした。彼もまたチラベルと共にW杯フランス大会で死闘を演じた名選手です。
【監 督】
ロベルト・サンチェス Roberto Sánchez
【正式名称】 CLUB 12 DE OCTUBRE
【創 立】 1914年8月14日
【球場名】 Juan Canuto Pettengil
【タイトル】 2002年下半期優勝
【オフィシャルサイト】http://www.club12octdeitaugua.com.py
【クラブ史に残る名選手】 フレディ「ゾロ」バレイロ(リベルタに移籍し最強軍団の先鋒として成長し、2004年アテネ五輪で大活躍、大会ベスト10選手に選ばれたヘディング屋。現ロシアのサターンでプレー)、ダリオ・ベロン(メキシコでプレー)、サルバドル・カバーニャ(代表選手。メキシコでプレー)
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Libertad - リベルタ 縦じまキャベツ部隊出撃! |

2005年度下半期レギュラー
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1904年の革命にて、革命軍を運んだ船Sajoniaが「自由を勝ち取った」という意味でLibertad(自由)と改名され、翌年に社交界の青年によるクルージングパーティーが催されたとき、初代会長により創立計画中のチームの名称にしようという提案があり、その船の名がそのままチームの名前となりリベルタの誕生となった.......という、国内でも特に古いチームのひとつです。
長年不振だったが近年よりメキメキ力をつけはじめ、2002年は82年振りに国内リーグを制覇。
2003年も勢いは衰えず、開幕シリーズ、閉幕シリーズ両方で優勝する、というチーム創立以来の快挙をなしとげ、堂々統合チャンピオンとなりました。
しかし、2004年は調子が落ち、力を盛り返してきたセロに優勝を譲り、南米カップ予選でもセロに勝てず...
2005年上半期は絶不調。
2006年は資産家オラシオ・カルテ会長が大奮発して各チームから名選手をかき集め、更に2002年総合優勝、2003年近年のリベルタの栄光の礎ともなった「タタ」マルティノ監督も呼び戻し、見事復活、2006年上半期優勝を果たしました。
愛称はGUMAREROまたはREPOLLERO(キャベツ)。前者はよく知りませんが、どうもチームのマスコットとなった、昔流行ってたマンガの主人公の名前から来てるみたいです。後者は昔ホームの近くにキャベツ畑があったためだとか。
ユニフォームは、ユベントゥスと同じ縦の細い白黒縞。
【選手】
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ゴールキーパー
アルド・ボバディーリャ Aldo Bobadilla
元セロの守護神!前年はアルゼンチンのヒムナシアで頑張っていたが、2006年からはリベルタのゴールを守るベテラン。
2006年ドイツW杯に召集されました。
ディフェンダー
ペドロ・サラビア Pedro Sarabia
パラグアイ代表レベルのベテラン名選手。元セロのディフェンスの要!
ミッドフィルター
カルロス・ボネット Carlos Bonet - 荒々しくも力強いドリブル
アルゼンチンでプレーしていたためかシャベリとインタビュー顔がいい(笑)でも走り方はトカゲっぽい(?)
2006年ドイツW杯に召集されました。
クリスティアン・リベロス Cristian Riveros
将来を有望されているリベルタのエンガンチェ(トップ下)。
2006年ドイツW杯に召集されました。
フォワード
エルナン・ロドリゴ・ロペス Rodrigo López ウルグアイ人
2002年オリンピアのリベルタドーレス優勝の立役者の1人。オリンピアを出てからはメキシコのパチュカに居たそうですが、去年からリベルタに入団。今やリベルタの攻撃の要!
フアン・サムーディオ Juan Samudio
2002年度国内リーグ得点王。真面目青年っぽい。最近影が薄くなりましたが、やるときはキチっとやってます。
【監 督】
ヘラルド「タタ」マルティノ Gerardo "Tata" Martino
パラグアイのチームの監督に就任して優勝を逃したチームは無いのでは?リベルタを、セロを常勝軍団に育てあげた「タタ」がリベルタに帰ってきた!
【正式名称】 CLUB LIBERTAD
【創 立】 1905年7月30日
【球場名】 Dr. Nicolás Léoz 収容数1万人
【タイトル】 国内プロリーグ総合優勝10回(1910, 1917, 1920, 1930, 1943, 1945, 1955, 1976, 2002, 2003)その他、COPA ITARIA(1920)、LIGA CENTENARIO(1913、1914、1916、1917)、CONSEJO NACIONAL DE CULTURA Y FISICA(1952、無敗)、INTEGRACION(1975、無敗)、中部リーグ(2000)、国際大会CAMPEONATO INTERNACIONAL DE QUITO(1964)
【クラブ史に残る名選手】 フスト・ビリャール(現代表正規キーパー、アルゼンチンのニューウェルズ・オールドボーイズでプレー)ほか。
参考資料 http://www.abc.com.py/especiales/torneo/apertura/images/infolibertad.jpg
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Sportivo Luqueño - スポルティーボ・ルケーニョ 名選手を生んだCURE LUQUE(ルケの豚)! |
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【2005年のデータです】
「サッカーの王様」ペレが選んだ世界サッカー史上100人の名選手の一人として選ばれた名フォワード、フーリオ・セサル・ロメロ「ロメリート」、世界記録をもつ名ゴールキーパー、ホセ・ルイス・チラベルという怪物を生んだチーム。
首都近郊ルケ市のチームで、日本の武田選手がプレーしてたこともあり。
地元の根強い人気を誇る古豪ですが、ここ50年来無タイトル。今年こそは!と燃えております。
ちなみにトレードマークはブタさん♪なんでもルケ市は昔からブタが美味しくて有名らしい。愛称は「クレ(グァラニー語でブタ)・ルケ」。
サポーターはフーリガンならぬ「チャンチョ(ブタ)リガン」(爆)
チームカラーは黄色と青です。
元々ルケ市内サッカーリーグの3チーム(Marte Atletico, Vencedor, Gral.Aquino)が合併して誕生したもので、正にルケ市の誇りをかけてプロリーグに投入された「精鋭部隊」だったそうです。
【選手(2005年下半期)】
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ゴールキーパー
デルリス・ゴメス Derlis Gomez
現代表のセカンドキーパー。一見オヤジ臭い(笑)
リカルド「モノ(猿)」タバレリ Ricardo "Mono" Tavarelli
元オリンピア正規キーパー&代表キーパー。チラのサブを勤めてました。猿といっても顔は猿どころかなかなかの美男。絶叫するとかなりヤバい顔になりますが(笑) ちなみにロケ・サンタクルスの義兄(ロケの奥さんジセルさんの兄ちゃん)。
ミッドフィルター
ビクトル・ウーゴ・オルティス Victor Hugo Ortiz
キープ力はなかなかのベテラン。
ミゲル・アンヘル「ペケ」ベニーテス Miguel Ángel "Peque" Benítez
ベテラン名ミッドフィルター。いきなり素晴らしいプレーをかますので油断できません(笑)人間的にも素晴らしい方だとよく聞きます。
ホルヘ・カンポス「カンピート」 Jorge Campos "Campito"
チラベル「政権」時代は代表でブイブイいわせてました(笑) 最近は特にフリーキックで素晴らしい才能を見せています。
フォワード
フリオ・セサル・ジェグロス Julio Cesar Yegros
10年以上メキシコでプレー、代表経験もある名選手。
リチャード・バエス Richard Báez
元オリンピアの名ストライカーで代表経験もあり。ビール大好きの飲兵衛らしいです(笑)
フアン・カルロス「ソルダディート(兵隊さん)」ベニーテス Juan Carlos "Sordadito" Benítez
昔はかなり将来を有望されていた名選手だったんですが....もんのすごい飲兵衛らしくて(笑)何故球界屈指の飲兵衛が二人も居るんだルケーニョ(爆) 当時はよくゴールパフォーマンスでバック転かましてましたが....まだ出来るのかな?
「兵隊さん」の通称の由来は、オリンピア時代(かな?)貧乏でバス代がなく、兵役者はバスでは運賃免除されるところを利用し、練習にはいつも兵士姿で現れていたので、そう呼ばれるそうになったとか(笑)
【監 督】
ウーゴ・ゴンサレス Hugo González
不調の「猛豚」を立て直すべく格闘中!
【正式名称】CLUB SPORTIVO LUQUEÑO
【創 立】 1921年5月1日
【球場名】 Feliciano Cáceres。99年コパ・アメリカ開催の際に改築された。収容数2万2千人。
【タイトル】 国内プロリーグ優勝2回(1951, 1953)、PRIMAERA DE ASENSO(第1昇格リーグ)優勝4回(1924, 1954, 1964, 1968)
【クラブ史に残る名選手】フリオ・セサル・ロメロ「ロメリート」、ホセ・ルイス・チラベル、ラウル・ビセンテ・アマリーリャ(オリンピアの英雄。現代表副監督。日本でのプレー経験有)
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Tacuary - タクアリ セバリョス・クエの黒ヒョウ! |

2005年度下半期レギュラー
【2005年のデータです】
2002年に新星のようにいきなりプロリーグに昇格し、優勝争いに加わった黒ヒョウ軍団。
最近ちょっと勢いが落ちてきましたが、まだまだ「虎視眈々」と優勝を狙っています。
チームカラーは...白黒なんですが、リベルタやオリンピアと混同を避けるためか白メインですね。
【選手(2005年下半期)】
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フォワード
ラウル「ラトンシート(小ねずみ)」ロマン Raúl "Ratonsito" Román - 素早いドリブル
安定感のあるオールラウンドプレーヤー。
【監 督】
オスカル・パウリン Oscar Paulín
【正式名称】 TACUARY FOOTBALL CLUB
【創 立】 1923年12月10日
【球場名】 Toribio Vargas(中部リーグ時代のホーム球場。収容数3000人)、Roberto Bettega(プロリーグ昇格後に建設されたピカピカの新球場。 収容数1万5千人)
【タイトル】 SEGUNDO DE ASENSO(第2昇格リーグ)優勝3回(1953,1962,1983)、PRIMERO DE ASENSO(第1昇格リーグ)1回(1999)、INTERMEDIA(中部リーグ)優勝1回(2002)
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Nacional - ナシオナル 伝説の名選手に続け、アカデミア! |
【2005年のデータです】
ロメリート、チラベルを越えるパラグアイサッカー史上最高という伝説の名選手アルセニオ・エリコが所属していたチーム。
古豪でありながらも長年不振だったアカデミア(愛称)、創立100年目の2004年にプロリーグに昇格しました。
チームカラーはナシオナル(国家)というだけあってパラグアイ国旗と同じ3色(赤白青)、しかし白が基本です。
【選手(2005年下半期)】
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ミッドフィルター
インカ Inca ブラジル人
2004年はセロで大活躍したミッドフィルター。「グラーナとインカがいないとセロは機能しない」とまで言われてました。
ビクトル「アニマル」キンタナ Víctor Quintana
元オリンピアの選手ですが、昔は「Destructor(破壊屋)」って言われてました。まあ、そういうプレーする男です。ハイ。
【監 督】
ダニエル・エドアルド・ラスレ Daniel Eduardo Raschle
アルゼンチン人です。
【正式名称】 CLUB NACIONAL
【創 立】 1904年6月5日
【球場名】 Arsenio Erico 収容数5千100人
【タイトル】 国内プロリーグ優勝6回(1909, 1911, 1924, 1926, 1942, 1946)、PRIMERO DE ASENSO(第1昇格リーグ)2回(1979,1989)、INTERMEDIA(中部リーグ)優勝1回(2003)
【公式サイト】 http://www.nacionalquerido.com/
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3 de Febrero - トレス・デ・フェブレーロ 東方より赤い悪魔来る! |
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【2005年のデータです】
ブラジルのフォス・ド・イグアスとパラナ川をへだてて隣接するシウダ・デル・エステのチーム。
2004年は中部リーグで大健闘、2005年からドセ・デ・オクトゥブレに続き、一部リーグ2番目の地方チームとなりました。
「2月3日」という変わった名称の由来は、エステ市創立記念日。また、守護精霊である聖ブラスの日でもある。
チームカラーは赤。
【選手(2005年下半期)】
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【監 督】
アリシオ・ソラリンデ Alicio Solalinde
何度か不調のオリンピアを救ったことがある、影の薄い大人しそ〜な名監督。
【正式名称】 CLUB ATLETICO 3 DE FEBRERO
【創 立】 1970年11月20日
【球 場】 Tte.Cnel.Antonio Oddone Sarubbi(長い!) 99年コパ・アメリカ開催に際し建設された。収容数2万8千人
【タイトル】 INTERMEDIA(中部リーグ)優勝(2004)
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北の雄鶏! |
2006年に初めて上がった、ブラジルのポンタポラ市と道路ひとつ隔てて隣接するペドロ・ファン・カバリェロ市のチーム。
チャコ戦争終戦後、ドス・デ・マジョ歩兵連隊の退役軍人達によって創立されたため、この名称となりました。
【選手】
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【監 督】
サトルニノ・アルーア Saturnino Arrua
【正式名称】 CLUB SPORTIVO 2 DE MAYO
【創 立】 1935年12月6日
【球 場】 MONUMENTAL RIO PARAPITI、収容数約25000人
【タイトル】 INTERMEDIA(中部リーグ)優勝(2005)で一部へ昇格。
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パロマール地区の新入り! |
前述ドス・デ・マジョと共に初めて昇格したチームです。
【選手】
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【監 督】
フリオ・セサル・ペニノ・ビエイテス Julio Cesar Penino Vieites
【正式名称】 CLUB FERNANDO DE LA MORA (BARRIO PALOMAR)
【創 立】 1925年12月25日
【球 場】 EMILIANO GHEZZI、収容数約5500人
【タイトル】 INTERMEDIA(中部リーグ)準優勝(2005)で一部へ昇格。
資料 ttp://www.abc.com.py/especiales/torneo/apertura/planteles_clausura_2005.html
DIVISION INTERMEDIA
...のチームのいくつか。
General Caballero - ヘネラル・カバリェロ |
セバリョス・クエ地区の猛牛。2005年、16年ぶりに1部に帰り咲いたが力及ばず。
またはMATARIFE(屠殺夫)とも呼ばれる。これは初めて1部に上がった1959年当時LIEBIGS冷蔵保存社の敷地内に球場を作りそこをホームとして参戦し、リーグトップにまで登り上がったがチーム名義の正式な本拠地がないことが判明し二部落ちしてしまった。
この冷蔵保存社は牛肉取扱専門社であったことからこの俗称がついた。
名称のヘネラル・カバリェロとは、現与党創始者ベルナルディノカバリェロ将軍・元大統領のこと。
そのためか、チームカラーは通称コロラド党と呼ばれる国家共和党のカラーと同じ赤。
【監 督】
グスタボ・ソテロ Gusravo Sotelo
【正式名称】 GENERAL CABALLERO SPORT CLUB
【創 立】 1918年9月6日
【球 場】 セバリョスクエ地区にある。収容数6500人
【タイトル】 SEGUNDO DE ASENSO(第2昇格リーグ)優勝1回(1993)、PRIMERO DE ASENSO(第1昇格リーグ)5回(1928, 1962, 1970, 1986, 2000)、そしてINTERMEDIA(中部リーグ)を準優勝(2004)で一部へ昇格。
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Sport Colombia - スポーツ・コロンビア
首都アスンシオンに隣接するフェルナンド・デ・ラ・モーラ市のチーム。
名称の由来は、三国戦争時代、パラグアイを攻めるアルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ三国同盟に猛烈な抗議を行ったコロンビアの議会に感謝の意をこめて名づけた、と言われています。
2001年から2004年まで1部リーグに昇格したフェルナンディーノ(愛称。フェルナンド・デ・ラ・モーラの!という意味)ですが、いまいち波に乗れず2005年は残念ながら2部に降格。
チームカラーは黄色と赤です。
【創 立】 1924年9月1日
【会 長】 Alfonso Colmán
【球場名】 Alfonso Colmán
【収容数】 6800名
【タイトル】 第1昇格リーグ優勝3回(1950, 1985, 1991)
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Sol de America - ソル・デ・アメリカ
創立当時のデータが紛失してしまったため、創立のきっかけ、創立者、名称の由来(「アメリカの太陽」という意味)が全く不明のチーム(笑)。
あとクラブと球場が思いっきり離れてるんですよね、ココ。車で1時間くらいかかるんじゃねーか...?
クラブでは30年代より頻繁にダンスパーティーが開催されていたことから、ダンサリン(舞踏家)という愛称で呼ばれています。
ここ最近は絶不調で、2005年はとうとう2部に降格するハメに...!!
【創 立】 1909年3月22日
【所在地】 クラブはQuinta Av.(Bo. Obrero - ASUNCION)だけど球場はVilla Erisa市。
【会 長】 César Cruz Roa
【球場名】 Luis Alfonso Giagni
【収容数】 5000名
【タイトル】 国内プロリーグ優勝2回(1986, 1991)
リーグ
パラグアイには、プロリーグであるDIVISION PROFESIONALの下に、DIVISION INTERMEDIA(中部リーグ)、PRIMAERA DE ASENSO(第1昇格リーグ)、SEGUNDA DE ASENSO(第2昇格リーグ)があります。
ここではプロリーグについてのみ話しますね。
シーズン
パラグアイのプロリーグは基本的に2シーズンに分けられます。
APERTURA(開幕シーズン) 2月中旬〜5月下旬
CLAUSURA(閉幕シーズン) 6月中旬〜10月下旬
APERTURA(開幕シーズン)
毎年試合方式が変わりつつありますので、2003年を例とします。
2月中旬から4月末まで、プロリーグ全10チームが1試合ずつ総当り戦を行い第9節まで戦ったその成績結果から上位6チームをセリエA・Bと3チームずつに分けて1試合ずつ試合を行います。そしてA・Bトップチーム同士がホーム・アウェーと2試合ずつ戦って優勝チームを選出します。(5月末に終了)
*優勝チームは自動的にリベルタドーレス杯出場権を手に入れることができます。
CLAUSURA(閉幕シーズン)
6月中旬から10月末までの第18節までを全10チームがホーム・アウェーと2試合ずつ総当り戦で優勝チームを選出します。
*優勝チームは自動的にリベルタドーレス杯出場権を手に入れることができます。
そしてAPERTURAとCLAUSURA優勝チーム同士が激突し国内リーグチャンピオンを決めます。
尚、両シーズンの優勝チームが同一チームの場合は、両シーズンの準優勝チーム同士が試合をしてその年の準優勝チームを選出します。
リベルタドーレス杯出場チーム選出方法
国内リーグ優勝、準優勝チームがリベルタドーレス杯出場第1、第2チームとなります。
第3の出場チームの選出は、その年度の上位4チームがLIGUILLA PRE-LIBERTADORES(リベルタドーレス予選小リーグ)という1試合のみ総当り戦を行い、3番目のリベルタドーレス杯出場チームを選出することになるわけです。
こうしてリベルタドーレス杯出場3チームを選出します。
降格
降格は過去3年間の試合数と勝利数から平均勝利率を計算し、プロリーグ最下位は自動的に中部リーグ優勝チームと入れ替わり、プロリーグ準最下位と中部リーグ準優勝チームが試合して次期プロリーグ出場権を争います。
※毎年システムが再考され、時には変更する場合もありますので、常に上記のとおりとは限りません。ご注意下さい。
パラグアイで活躍する/した日本人選手
実はパラグアイサッカー界で活躍する日本人選手も居るんです。
まずは過去パラグアイで勇名を馳せた選手を。
廣山望 Hiroyama Nozomi
2001年セロポルテーニョーでプレーしてました。日本人で初めてリベルタドーレス杯に出場した選手。現在フランスのモンペリエというチームで活躍してるそうです。
当時は街でセロ・ファンに出会うたびに、「おぅ!ヒロヤマ!」とか、よく声かけられましたねえ。「ヒロヤマすげえじゃないか!まあ飲め!」とか見知らぬ酔っ払いにビールおごってもらったことも。
ヒロさん、ごっつあんです(笑)
武田修宏 Takeda
2000年スポルティーボ・ルケーニョでプレーしてた選手です。現在は現役引退したとか。
当時こちらに来ていた専門家だかの娘さんで大ファンだったコがいて、しょっちゅうルケの練習に顔出してたそうで...。会えたのかなぁ♪
福田健二 Fukuda Kenji - FW
1996年〜2001年まで名古屋グランパスエイト、〜2003年FC東京、〜仙台ベガルタに所属。1996〜97年はU-19日本代表にも選ばれ、1998〜99年はシドニーオリンピック代表にも!2001年には日本代表候補にもなってたとか!わ〜すんげえ!!
2003,4年は一部リーグのグァラニーへレンタル。なかなかの活躍で注目されました!
本人に会ったことありますが、気さくですんげーいいヒトでした!
今はメキシコのパチューカで頑張ってるようです。がんばれケンジ!
菅野拓真 Sugano Takuma - FW
99、01年はジェフユナイテッド市原、00年はヴァンフォーネ甲府、01年には湘南ベルマーレでプレーしてた選手。2004年に中部リーグのRIVER
PLATE(アルゼンチンのリーベルプレートじゃないですよ!パラグアイのリーベルプレートです。)で活躍していました。
本人に会ったことありますが、なかなか面白くていいヒトでした!
ただ...よく実況がF1の佐藤琢磨と間違えてましたなあ(笑)「タクマサトー」と「タクマスガノ」☆
要田勇一 Yoda Yuichi
96年ヴィッセル神戸、00年横浜FC、02年静岡FC、03年セントラル神戸でプレーしてた選手です。2004年に当時中部リーグにいたFERNANDO DE LA MORA(フェルナンド・デ・ラ・モーラ)で活躍してました。
糸川徹 Toru Itokawa
アルゼンチンからやってきた若きディフェンダー。ヘネラル・カバリェロで頑張っていましたが...
まだまだ!もうちょい待て!
